書籍目録

『哲学的狂詩曲:ベトリスのアクバルによる断章;アジア、アフリカ、ヨーロッパ諸国の法、風俗、習慣、宗教についての省察』第1巻(全3巻中)

サリヴァン

『哲学的狂詩曲:ベトリスのアクバルによる断章;アジア、アフリカ、ヨーロッパ諸国の法、風俗、習慣、宗教についての省察』第1巻(全3巻中)

1784年 ロンドン刊

Sulivan, Richard Joseph.

PHILOSOPHICAL RHAPSODIES. FRAGMENTS OF AKBUR OF BETLIS. CONTAINING REFLECTIONS ON THE LAWS, MANNERS, CUSTOMS AND RELIGIONS, OF CERTAIN ASIATIC, AFRIC, AND EUROPEAN NATIONS, COLLECTED AND NOW FIRST PUBLISHED. IN THREE VOLUMES. VOL. I.

London, (Printed for ) T. Becket / Pall-Mall, M.DCC.LXXXIV(1784). <AB2020350>

Sold

vol.1 only of 3 vols.

8vo (13.0 cm x 21.3 cm), 1 leaf(blank), Half Title., pp.[i(Title.)-iii], iv-v, 1 leaf(Corrigenda), pp.[1], 2-277, 378(i.e.278), 279-286, 1 leaf(blank), Contemporary full leather.
[ESTC: 006393425]

Information

独自の論調と視座で論じられたユニークな日本論

 本書は、日本を含む世界各国地域の政治制度、風俗、宗教を論じた作品で、「アクバル出身のベトリス(Akbur of Betlis)が語った内容をまとめたという体裁をとってエッセイ調で書かれています。全3巻からなる大部の著作として刊行されていますが、中国や韃靼、朝鮮、日本などについての記述は第1巻に集中しています。日本についても2章を費やして論じられており、ユニークな語り口で論じられた日本論として関心を惹く内容となっています。

 著者サリヴァン(Richard Joseph Sulivan, 1752 - 1806)は、著作家、政治家として18世紀後半に活躍した人物です。本書以外にも歴史、地理、文化論についての著作があり、本書が主題としている世界各国の歴史、文化、風俗、宗教の比較を通じて、ある種の文明論を展開しようとした著作家だったと言えるのではないかと思われます。本書はサリヴァン自身の論考としてではなく、彼が知り合ったという「アクバル出身のベトリス」という世界各地を旅してきた異国の人物による語りをサリヴァンが編集した、という体裁をとって記されています。とは言え、この設定はおそらくフィクションで、サリヴァン自身の記述をそのような訂正をとってエッセイ調で論じた作品として理解するべきものと思われます。いずれにしても、軽妙な語り口で独特の視点から、世界各地の文化や政治を論じるという大変ユニークな作品となっています。

 本書の冒頭からしばらくは、ベトリスの(著者の)政治や風俗、宗教、歴史一般についての考え方が論じられていて、ある種の文明論が展開されています。そうした概論とも言える記述に続いて、韃靼、中国、そして日本というように東アジア各地についての論考が続いています。日本についての記述は、中国についての論考が展開された後の、第22断章(Fragment XXII, pp.173-)と第23断章を費やして論じられています。著者は、日本の人々の起源論から筆を起こし、中国との近接性から、大陸から渡ってきたと考えられがちであるが、おそらくそれは間違いであるとして、日本を実際に訪れた人々(おそらくケンペルらが想定されている)の幾人かは、シナイ半島から離散した人々が中国へと渡り、そこからさらに日本へと渡ったのであろうという、当時は比較的よく見られた聖書記述に依拠した起源論を展開しています。

 続いて、日本の統治機構についての記述へと移り、「内裏(Daïro)」という世俗上と宗教上との双方の至高の権利を有する人物が治めていることが語られています。当時のヨーロッパの文献に見られる日本の統治機構に関する多くの記述は、「内裏」と「将軍」との二重統治機構について論じることが多いのですが、サリヴァンの記述の関心は「内裏」に集中していて、「神々の子孫」(a descendant of the gods)である内裏がどのような生活を送っているのかや、日本の人々からどのように認識されているのかの記述を通じて、そこから日本の人々の特徴を描き出そうとするという、大変ユニークな論考となっています。サリヴァンはこうした独特の論考を経た上で、日本についての情報は限られた情報源から推察するしかないとしつつも、日本の人々は、自由の諸原則をよく理解し、知的で、機智に富み、人道的な人々であると考えるべきだという、非常に肯定的な評価を下しています。

 第22断章に続く第23断章では、ポルトガル人の日本への来航が論じられており、サリヴァンは、スペインとポルトガルが世界を分割することを教皇アレクサンドル6世が1493年に認めたことを激しく非難し、カソリックによる傲慢と横暴な振る舞いが日本を含むアジア各国を襲ったことを批判的に論じています。彼らに対抗するプロテスタント勢力であるオランダ人の来航によって、ポルトガルは日本から締め出されることになったことを述べ、日本におけるキリスト教の迫害は、その多くがオランダの陰謀とポルトガルの不適切な日本での振る舞いに起因するというしつつ、神父たちの分不相応な欲望が破滅的な結果をもたらすことになったのだとしています。第23断章で論じられているのは、通常よく見られるような日本におけるキリスト教の興隆と迫害による破滅の歴史を論じたものではなく、これらの一連の事件を通じて、そもそも宗教とはなんであるのかを論じようとする大変ユニークなもので、サリヴァンの結論の是非はともかくとして、他の書物には見られないような、独自の宗教論と言える内容となっています。

 本書は全3巻からなる大部の著作で、そのタイトルにも日本についての言及がないことから、これまで日本関係欧文資料として認識されてこなかったようで、国内研究機関にも所蔵を確認することができません。しかしながら、同時代の類書にはあまり見られないような独自の論述スタイルで、しかも独自の文明論、宗教論を伴って論じられたユニークな日本論として、少なからぬ研究上の学術的価値を有するものと言えるのではないでしょうか。