書籍目録

『歴史の縮図:あるいは世界に現存する主要な帝国、王国、国家、共和国における歴史に記録された最も重要な革命と事件の簡潔な概観』第2巻(全2巻中)

ペイン

『歴史の縮図:あるいは世界に現存する主要な帝国、王国、国家、共和国における歴史に記録された最も重要な革命と事件の簡潔な概観』第2巻(全2巻中)

1795年 ロンドン刊

Payne, John.

AN EPITOME OF HISTORY; OR, A CONCISE VIEW OF THE Most Important Revolutions and Events, Which are recorded in the HISTORIES OF THE PRINCIPAL EMPIRES, KINGDOMS, STATES, AND REPUBLICS, NOW SUBSISTING IN THE WORLD: ALDO THEIR FORMS OF GOVERNMENT: ...

London,  (Printed for) J. Johnson, 1795. <AB2020349>

Sold

vol. 2 only of 2 vols.

8vo (12.5 cm x 21.0 cm), Title., 1 leaf(Contents), pp.[1], 2-424, 545[i.e.425], 426-536, [1], 2-4(advertisement), Later three quarter leather on marble boards.

Information

 本書は、「疲れを知らぬ著作家」とも称されたペイン(John Payne, 生没年不明)によって書かれた「世界誌」の第2巻にあたるもので、日本をはじめとしたヨーロッパ諸国以外の各国の歴史を扱ったものです。タイトルに日本のついての記述はありませんが、冒頭から1章を割いて日本についてのまとまった記事が掲載されていることから、これまであまり知られていない日本関係欧文史料として貴重な書物と言えるものです。

 ペインは本書以外にも『普遍地理学』(Universal Geography, 2 vols. Londo, 1791)や、匿名で著したイギリス史の著作、ギリシャ紙の著作など歴史、地理学に関する多くの書物を刊行しており、また様々な雑誌への寄稿でも知られています。1794年にヨーロッパ各国を扱った本書と同じタイトルの著作を刊行し、おそらくこれが好評を博したためと思われますが、この書物を第1巻として、その続編第2巻としてヨーロッパ以外の各国を扱う本書を1795年刊行しました(同年に第1巻第2版を刊行)。ペインの『歴史の縮図』は、そのタイトルが示すように、世界各国の歴史をコンパクトにまとめたもので、当時の英語圏における標準的な各国についての認識や、歴史観を反映させた内容となっています。本書である第2巻は、イギリスから見て極東に位置する日本からの記述で始まっており、ついで中国と徐々に西へと進み、現在の中近東諸国の記述に至ってから、「西インド」と呼ばれる南北アメリカの記述が展開されています。

 日本についての記述は、冒頭から60頁近くにわたって続いており、まとまった日本論と呼べる内容となっています。記事は、日本の名称についてびの記述(日本の人々には「ニフォン(Niphon)」と呼ばれ、中国の人々には「ジッポン(Zippon)」あるいは「シフォン(Siphon)」と呼ばれている等々)にはじまり、そのおおよその緯度、経度、地理的特徴などが説明されています。島国である日本は、ヨーロッパにおけるイギリス(Great Britain)との類似点が多いことが指摘され、その祖先は中国、あるいはそれ以外の近隣諸国から渡ってきたもので文化的にも類似点が多いこと、日本の歴史はおおよそキリスト生誕600年前に遡り、神武天皇(Sin Mu Ten Oo)によって収められた時に始まることなどが紹介されています。そこから現在(本書執筆当時の)に至るまでの歴史の概略が紹介され、現在は「家康様の一族」(The family of Jejassama)によって統治されていることが解説されています。また、ヨーロッパと日本との交渉史についても触れられていて、1543年のポルトガル人の最初の来日に始まり、天正遣欧使節が1583年にグレゴリオ13世に謁見を求めて派遣されたこと、イエズス会による精力的な日本宣教活動によって改宗信者が急増したことや、オランダとポルトガルとの対立、時の権力によるキリスト教弾圧が熾烈を極めるようになっていたことなどが比較的詳細に論じられています。こうした歴史的過程においてオランダが日本と交易を許される唯一のヨーロッパ国となったことや、長崎における日蘭貿易についても詳細に解説されています。

 イギリスと日本との関係については、かつて交易を許されていたイギリスが1663年にリターン号を派遣して再度交渉を求めて来日するものの、チャールズ2世がポルトガル王の娘と結婚していたことが原因で、日本から謝絶されたことを紹介しつつ、クックによる第3回航海において、クックの不慮の死後に後悔を引き継いだゴアが危険な海域として知られていた日本東岸近くを航海したことなども紹介されています。これ以外にも、日本の統治機構や人々の気質、文化、宗教についてもさまざまな文献を参照しながら論じられており、大変充実した日本論となっています。これらの記述は概ねケンペル『日本誌』を参照したものと考えることができる一方で、上述のクック航海記やイエズス会書簡など、ケンペル以外の文献も随時参照しており、著者ペインの日本についての見識が決して表層的なものでなかったことを窺わせます。

 本書はあまり当時の売れ行きがあまり芳しくなかったのか、国内研究機関における所蔵がなく、また国外でも決して多くの研究機関に所蔵されていない文献のようですが、このように大変充実した日本関連記述を収録していることから、貴重な日本関係欧文史料と言えるでしょう。