書籍目録

『フランシスコ・ザビエルの生涯』

トルセリーニ

『フランシスコ・ザビエルの生涯』

1607年 リヨン刊

Torsellini(Torsellino), Horatii(Orazio).

DE VITA B. FRANCISCI XAVERII. Qui primus e Societate IESV în Indiam & Iaponiam Euangelium inuexit. LIBRI SEX.

Lugduni(Lyon), Petri Rigaud, M. DCVII(1607). <AB2020343>

Donated

8vo (10.0cm x 15.8cm), Title., Front., 6 leaves, pp.1-52, 41(i.e.53), 54-112, 114(i.e.113), 114-124, 115(i.e.125), 126-352, 354(i.e.353), 354-407, 406-411(NO DUPLICATED PAGES), 411, 410(NO DUPLICATED PAGES), 411-646, 8 leaves(index), Later three-quarter leather.

Information

古典的名著として今なお名高く、「神戸のザビエル像」の直接のモデルとなったザビエル肖像画を口絵に収録した伝記作品

 本書は、16世紀に刊行されたフランシスコ・ザビエルの伝記として最も完成度が高く、また繰り返し再版されたことによりその影響力が最も大きかったと言われる作品です。著者トルセリーニ(Orazio Torsellino, 1545 – 1599、Horatius Torsellinusはラテン語表記)はイエズス会の著作家として多くの書物を著していて、ザビエル没後、ザビエルが成し遂げたアジア宣教の偉大な足跡を含めた彼の詳細な伝記調査と記録の出版を求める声が次第に高まりつつあったことを受けて、本書の執筆に着手し、1594年にローマで初版(ラテン語)を刊行しました。この初版はすぐさま大きな反響を呼び、初版刊行のわずか2年後(1596年)には大幅な増補改訂が施されて、第2版が刊行(ローマとアントワープで2種が刊行:後述)されています。そして、この第2版が決定版として、以降繰り返しヨーロッパ各地で再版、翻訳版の刊行がなされていき、ザビエル伝記の決定版として後年に多大な影響力を及ぼすことになりました。本書は、1607年にリヨンで刊行された再版版の一つで、比較的早い時期の再版本と言えます。第2版で初めて採用された印象的なザビエルの肖像画が口絵として収録されていて、この図は、現在神戸市立博物館に所蔵されている著名なザビエル図の原図の一つとなったことでも知られている非常に重要な作品です。

 本書は全6部構成となっていて、第1部では、ザビエルの出生から幼少期以降の教育、そしてロヨラとの出会いとイエズス会創設への参加とアジア戦況を志すあたりまでを、第2部では、アジア宣教のためにインドへと向かい、ゴアを中心として行った宣教活動の様子までを記しています。続く第3部は、マラッカへと移って展開された宣教活動の様子、そして日本から同地に来ていたアンジロウとの出会いをきっかけにして日本への宣教を決意し、彼を伴って鹿児島へと向かうあたりするまでを記しています。ザビエルの日本での宣教活動は、第4部で非常に詳細に論じられていて、最初に到着した鹿児島、そして豊後、山口において君主から宣教活動の許可を得たり、仏僧と議論を交わしたこと、首都である京都へと向かい、再び山口を経て九州に戻るまでと、時系列に沿ってザビエルの日本での活動が細かく記されています。第5部では、日本での宣教活動をより本格的に展開するために、中国での宣教を志して一旦離日して、中国へと向かおうとしたその矢先に病のために帰天したことまでが記されていて、時系列に沿った彼の伝記としては、この第5部までが本論となっています。最後の第6部は、ザビエルの生涯を通じて確認された様々な奇蹟、また彼の死後にその遺骸が腐敗しなかったことなど、死後にも生じた多くの奇蹟についての記述となっていて、これらの記述は、ザビエルが一聖職者を超えたある種の聖性を帯びた人物であったことを強調しています。

 また、本書のもう一つの大きな特徴となっているのは、口絵として採用されているザビエルの肖像画です。ザビエルの肖像画は、生前彼を知るものによって描かれたとされる図がローマにもたらされていたと言われており、それを元にして制作された銅版画の口絵が、1596年に刊行された本書第2版に初めて収録されました。1596年に刊行された第2版は、ローマで刊行されたものと、アントワープで刊行されたものとの2種類があって、テキストの内容はいずれも同じものの、収録されているザビエルの肖像画が異なっています。本書に収録されたザビエル図の元となったのは、アントワープ版に収録された、ヒロニムス・ウィクリス(Hieronymus Wiericx, 1551/55-1619)による作品で、胸元で両手を交差させ、天へと視線を向けるザビエルが描かれています。この「胸に十字架を抱く法悦的な図像は、対抗宗教改革期に頻繁に描かれた聖フランチェスコ像に特有の図像」(若桑みどり『聖母像の到来』青土社、2008年、245頁)で、ウィクリスは当時広く描かれていた聖フランチェスコ像の様式を下敷きにしつつ、「聖フランチェスコ図像と聖ザビエル図像と分けて作成し、ザビエルは両手を胸の上で組み合わせて祈り、視線を天に向けてはいるものの、そこには十字架はなく、体格もまた恰幅の良いがっしりした男性に描き、禁欲的な聖フランチェスコとは区別して」(前掲書、246頁)独自のザビエル像を生み出しました。本書に収録されているザビエル像は、このアントワープ版に収録されたウィクルスによるザビエル図を左右反転させたもので、さらにその周囲にザビエルの生涯で特徴的な場面を描き加えています。本書がその系統に属するウィクルスによるザビエル像は、日本において最も著名なザビエル像とも言える神戸市立博物館が所蔵するザビエル像の直接のモデルとなったもので、その意味でも当時の日本への招来も含め、多大な影響力を持ったザビエル像として非常に重要な銅版画ということができるでしょう。

 なお、もうひとつのローマ版に収録された肖像画は、ハレ(Theodore Galle, 1571 - 1633)が手がけたもので、胸元の衣服を開くようなポーズをとったザビエルが描かれていて、本書に収録された肖像画とは異なる系統に属する代表的なザビエル像として、この図も後年に大きな影響力を有しました。日本で製作された『聖母十五玄義図』に描かれたザビエル像は、ハレによるザビエル像を直接のモデルとしていることが明らかにされています。

 本書は、そのテキストの内容が非常に優れた作品として後年にも多大な影響力を持った重要な作品であるだけでなく、収録された特徴的なザビエルを描いた口絵が、神戸のザビエル像を含め、ザビエルを視覚的に描く際の定型の一つとなったウィクルスによるザビエル像を直接に引き継いだ作品であるという点でも、大変重要なザビエルの伝記書ということが言えるでしょう。

*本書に収録されたザビエルの口絵を含めたザビエルを描いた視覚作品についての研究はすでに多大な蓄積がありますが、比較的近年の研究としては、前掲の若桑みどりによる著作のほか、東武美術館 / 朝日新聞社編『来日450周年 大ザビエル展 図録』1999年(本書も57番に掲載)、鹿毛敏夫編『描かれたザビエルと戦国日本:西欧画家のアジア認識』勉誠出版、2017年、等を参照。


「ザビエルの伝記も、没後間もなくからイエズス会士達によって執筆されている。オラシオ・トルセリーニ(1545〜99)の『フランシスコ・ザビエルの生涯』(ローマ、1549年)は、ザビエル伝としては最初に刊行され、広範囲にわたって流布したものである。同書は、1596年にラテン語版の再版(*改訂増補版;引用者注)、1600年に3版、スペイン語版、05年にイタリア語版、翌06年に同再版、08年にフランス語版が出版されており、その後もヨーロッパ各地において多数の版を重ねている。また、ジョアン・デ・ルセナ(1550〜1600)によるポルトガル語の『フランシスコ・デ・ザビエルの生涯』(リスボン、1600年)は、トルセリーニによる伝記と並ぶザビエル伝として後世のザビエル觀に多大な影響を及ぼしたものである。
 伝記の作成は、その人物の列聖列福のための事蹟調査という意味を持っている。列聖列福のためには、その人物の正確な情報が必要だからである。ザビエルは1619年には福者に列せられ、22年にはロヨラと同時に聖人に列せられている。(後略)」
(浅見雅一『概説キリシタン史』慶應義塾大学出版、2016年、51-52頁より)