書籍目録

『世界誌』より抜刷 「世界誌 第二巻第四部第一章 アジア全般 古代と現代」 「世界誌 第二巻第四部第四章 日本列島、京都、大仏寺、天皇の居城、江戸、阿弥陀寺、江戸の皇帝の居城、日本の法と生活について」

マレー

『世界誌』より抜刷 「世界誌 第二巻第四部第一章 アジア全般 古代と現代」 「世界誌 第二巻第四部第四章 日本列島、京都、大仏寺、天皇の居城、江戸、阿弥陀寺、江戸の皇帝の居城、日本の法と生活について」

初版 1683年 パリ刊

Mallet, Allain Manesson.

DE L’ASIE. CHAPITRE PREMIER. De l’ Asie ancienne & modern en general. [with] DE L’ASIE. CHAPITRE IV. Des Isles du Japon, de la Ville de Miaco, du Temple de Daibuth, du Palais du Dairo, de la Ville d’ Iedo, du Temple d’ Amida, du Palais Imperial d’ Iedo,

Paris, DENYS THIERRY, M. DC. LXXXII (1683). <AB20179>

Sold

First edition. 2 chapters are extracts from Vol. 2 of Mallet’s ‘Description de L’Universe. Paris: 1683.

8vo, pp.1-5, [1]: maps [2], pp.53-73, [1]: maps [1], plates [8], Modern marbled wrappers bound in 1.

Information

貴重な日本部についてのテキストと地図、図版の抜刷

 マレー(Alain Manesson Mallet, 1630 – 1706)は、フランスの地図作成者、軍事工学者。ルイ14世の軍隊でキャリアを積み、軍事工学の知見を買われ宮廷付き数学侍講となりました。彼の代表作とされるのが、全5巻からなる『世界誌(Description de L’Univers. 1683)』で、世界各地の地誌、歴史、文化を多くの銅版画、地図を盛り込んで紹介しました。収録された多くの図版は先行する著作に範をとっていますが、その多くをマレー自身が描き直したとも言われています。

 今回ご案内するのは、この著作の第二巻(アジア)に収録されている、日本関係記事を抜き出したものです。この巻は、その名の通りアジア地域を紹介する巻ですが、冒頭の第一章は、アジア地域全般の古今の歴史と地理的状況を簡単に紹介し、また第四章では、日本だけを取り上げ、独自の地図や図版を合わせて紹介しています。

 多くの図版は、先行するモンタヌス(Arnoldus Montanus, 1625 – 1683)が1669年に刊行した『東インド会社遣日使節紀行(Gedenkwaerdige Gesantschappen der Oost-Indische Maetschappy aen de Kaiseren van Japan)』を範にしていますが、日本地図はいずれの先行分類にも属しないユニークなものとされているほか、「日本の皇帝(EMP. DU IAPON)」と題された、想像で描いたと思われる将軍図は先行する資料が特定できないものです。
 
 マレーの『世界誌』は揃いで見つかることが極めて珍しい上に非常な高価なことで知られています。一方、それぞれの図版や地図が切り抜かれて個別に市場に出回ることもありますが、その際はテキスト部分が脱落してしまうことがほとんどです。今回ご案内するように、日本に関連する部分(ただし北海道(蝦夷)は除く)がまとまって、テキスト部分も含めて出現することは大変珍しいことです。

 「アラン・マネソン・マレー(1630-1706)はもとフランスの軍事技術者。ポルトガル王に仕えたのち母国でルイ十四世の数学侍講となっていますが、本書のほか軍学書 Les Travaux de Mers (1671)が知られています。
 この『世界誌』は天体論にはじまり地球全体の地理を概説したのち極地地方(第一巻)、アジア(第二巻)、アフリカ(第三巻)、そしてヨーロッパ・アメリカ(第四・五巻)各国の地理・風俗を詳細に記しています。総計六百八十四点にも及ぶ挿画は当時のヨーロッパ人が抱いていたイメージを如実に伝えるものとして貴重。例えば第二巻で一章を割かれている日本の項では、エキソティックな山谷のかなたに見える江戸や京都の遠景はともかく、ゴシック教会の中に安置された大仏像、邪教の雰囲気を漂わせる阿弥陀如来像、あるいはトルコ風の衣裳をまとった将軍など、実証的正確さにはもとより遠いものながら、十七世紀末における極東の小国がどのように理解されていたか、その答をここに見出すことも不可能ではありません。なお日本の章の本文はモンタヌスに、中国はタッパー、キルヒャー、あるいはダヴィティなどに依拠しています。」
(放送大学附属図書館「西洋の日本観 24. マレー『世界誌』1683年」より)

 「アラン・マネソン=マレの5巻からなる世界史の第2巻に含まれているこの日本地図は、これまでに出てきた地図のほとんど全ての型の特徴をあわせ持っており、特定の型に分類してしまうことはできない。それゆえ、直接彼の型を引き継いだものはいないようだが、ここでは独自の型として取り上げた。ヤンソン型同様、関西と関東は西から東へと伸びており、東北は後のアッフェルデンや、もっと後のケンペル/ショイヒツァーのように、ほとんど直角に北を向いている。本州北端及び能登半島、房総半島はタヴェルニエのもとにおけるブランクス/モレイラ型になっている。琵琶湖はそことはまた違って、瀬戸内海につながる湾としては扱われず、能登半島の少し南の内陸部に置かれていて、ダッドレー/ヤンソン型のように川によって瀬戸内海とつながっている。四国および特に九州は非常に簡略化されていて、コロネリのマルティーニ/モレイラ型を思い起こさせる。」
(ルッツ・ワルター編 『西洋人の描いた日本地図』より)

現代(当時)アジア図
日本の皇帝(将軍)の図
モンタヌス原図との比較1(左が本書、右がモンタヌス(仏訳版)
モンタヌス原図との比較2(左が本書、右がモンタヌス(仏訳版)